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追憶の巨椋池

[2010年3月19日]

蓮

 巨椋(おぐら)の入り江として万葉の古歌にも詠まれ、近世にいたるまで文人墨客たちにその水郷風景をめでられた巨椋池。
 その昔、宇治川・木津川・桂川の三川が流れ込み、満々と水を湛えていたこの一大遊水池は、魚介類が豊かに棲息し、沿岸の村々では漁業が営まれていました。
 伏見城や巨椋池沿岸部を水害から守るため行われた豊臣時代の築堤工事で、巨椋池がいくつもの池に分離され、巨椋池の八割を占める大池で漁ができたのは東一口村ほか2町村だけで、特に東一口村は鳥羽上皇の時代に下賜された特権的な漁業権を持ち、大池の七割を占有する漁業集落でした。そして、巨椋池漁業権の総帥としての権威と御牧十三カ村をまとめていた大庄屋であったのが山田家です。今も、東一口の街並みの中ほどに残る壮大な長屋門を有する屋敷は、当時の繁栄ぶりを物語っています。

漁業風景

 豊臣時代以降も洪水は度重なり、その後も幾度となく築堤や川の付け替えが行われ、明治40年の宇治川改修の完成で川と池とは完全に分離されました。ところがそのために、池の水位は下がって水草が繁茂するようになり、周囲約16キロメートル、水面積約794ヘクタールもあった巨椋池の水深は1メートル前後となり、冬には50センチ前後まで下がりました。
 そこで、人々は池の活路を干拓に求め、昭和16年に完成した干拓事業により、今では緑の田園地帯が広がっています。

蓮見舟
干拓前の巨椋池航空写真

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